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平和について

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

今日も再び憲法の話を致します。

今日の状況を観察しますと、積極的平和主義などと叫ばれてはいますが、未だなお平和主義の理想がないがしろにされている事実を認めざるを得ません。
私たちは、心の底から平和化されているようには思われません。

まず、平和主義の理念が憲法の戦争放棄の条章において不徹底であることです。

現在の世界の情勢は世界恒久平和には程遠いものがあり、いつ戦争が勃発し、日本がその一方から攻撃を受けないとは限りません。
その際に軍備を撤廃し、戦争を放棄した私たちは何ができるでしょうか。
私たちは、自己を守らなければなりません。
戦争の放棄は早計に失したというのでしょうか。

私たちはこれに対し、先ず日本の現在までの国民性を前提とするときに、「剣をもって立つ者は剣にて滅ぶ」という言葉が、少なくとも日本にとって、不幸にして真理であるということ、次に、世界における何十という国々が特筆するに足る程度の軍備をもっていないということ、最後に戦争を放棄しても、世界の公論が戦争から私たちを保護してくれることを信頼して差支えないということ、またその義務が軍備をもつ列国の側にあることを主張し得るのです。

憲法における平和主義宣言は、このわずかな期間に、国民を平和の使徒にさせることはできません。
軍国主義華やかなりし時代の思慕、国際情勢の不安定を見越して、将来の軍事的立ち上がりの可能性を期待する者が絶無だとはいえないのです。

過激国家主義と民主主義とは、別個の国民を支配するものではありません。
それらは常に、同じ国民を対象として発現するのです。
両者は紙一重の差というよりも、むしろ同一のものの異なる半面と見なければならないのです。

東京裁判において処断される被告たちが同胞であることをもって、彼らに対して不当な寛容の態度をとるならば、国家として世界人類に対する侵略戦争の責任を自覚せず、そのために絶大な犠牲を払った多数の国民同胞に対して、同じように責任を自覚しないものとみなければなりません。

私たちは過去の罪過に対する悔悟と責任の自覚を失ってはなりません。
戦争犯罪人を国民的英雄に祭り上げるような愚に堕してはならないのです。

日本は軍備の充実による平和の実現の途を選ばないで、軍備撤廃の途によって同じ目的を達成しようと決意したのです。

日本は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われ等の安全と生存を保持しようと決意した」のです。

日本は武力による自衛権の行使を放棄して、正当原因による戦争を断念したのです。

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