夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

大雪の後

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

3週連続の降雪はどうやら免れたようで内心ホッとしました。

雪道を転び慣れた甲斐あってか、凍結した路面を滑っても受け身ができるようになり、おかげ様で無事怪我もなく元気にしております。

残雪のせいか多忙という程でもないので、本好きの知人と読書話で盛り上がり、現在読んでいる本計3冊の後にぜひともと、バルザック、谷崎潤一郎の本をすすめられました。谷崎の本は刺激が強すぎないものを敢えてすすめてもらった次第です。
知人からはキリスト教を知るには何を読めばいいのか聞かれていたので、聖書を勧めていたのですが、どこの出版社の聖書を読めばいいのかと予想外の質問を受け、面喰っていたところ、最近になって新共同訳でいいのかと再び聞いてこられたので、説明する手間が省けました。
聖書は1頁目から読むものではなく、まず新約聖書の四福音書を読んだ後、旧約聖書を読むよう無理のないようにとお伝えしました。

さて、過日都知事選がありましたが、これに関連して少し述べてみます。

同業者であるというだけの理由で、同組合員であるというだけの理由で選挙するのは、同県人であるから、同窓であるからというのと五〇歩百歩です。
単なる肩書や名士だからとの理由で一票を投じるのは、姓名が書きやすいから、記憶しやすいからというのと大差がありません。
大局においてこの領域をまだ脱していない我が国の選挙界の前途は誠に遼遠です。
この場合において、政党の主義主張のようなものは、これら非合理性を隠蔽する屋根か看板にすぎないのです。
政綱についての信念をもたない結合と、政見のない者の結合との間は甲乙がないのです。

民主主義的政治の前提は、言論戦です。
それは異なる世界観、種々の学説や技術の間の理論闘争です。
しかしまだ多くの情実その他不明朗な要素が混入しているのです。
真の民主主義的精神に反する少数者の独裁、圧迫、言論自由の濫用、とくに泥試合的な中傷等がむしろ横行しているのが現状です。
これは1つには、政治における知性の貧困に帰着するのです。

今日の政治は科学的でなければならないことが主張されているのは、それ自体としては誤りではありません。
従来の日本の政治は、あまりにも科学性を欠如していました。
それは、我が国における科学(人文科学、自然科学を含めて)の水準が欧米に比べて劣っていたことに起因するのですが、さらに科学と政治との結合の努力がなされていなかったことも大きな原因であったと認められるのです。

軍部や政治家や官僚は抽象的には科学を尊重し奨励しても、彼らは科学者の研究とは全く無関係に既定の計量をすすめていき、研究の成果はいたずらに役人の机上にうずたかく積まれているに過ぎなかったのです。
例えば、中国社会に関する研究は、相当深くなされていたにもかかわらず、政府当局はこれに関して無知であり、又はそれを応用することを知らなかったのです。
もしそれを知っていたならば、日華事変のように無謀な侵略戦争を開始したり継続したりすることはなかったでしょう。同じようなことは太平洋戦争についても言われ得るのです。

このような意味において今日の政治においても科学性の貧困を感じざるを得ないのです。それは政治と科学(人文科学、社会科学、哲学等を含めて)との結合の不足に起因するのです。

議会において憲法改正が審議された際、常識をはずれた冗長な論議さえ、真面目な態度で辛抱して傾聴されたことは、政界において、いかに理論が不足していたかの証左であります。

一般に議会の議論において感じられることは核心に触れないレトリックが長々しく行われることです。
理論的に整理しコンデンスしたならば、3分の1か5分の1の時間でいえると思われる場合が多いのです。

その理由の1つには政界人官界人の言論に空虚なスローガンの繰り返しが多いということです。
終戦前には八紘一宇や公益優先や大東亜共栄圏をうんざりするほど聞かされたようですが、今は平和主義や民主主義の叫びがこれに代わったのです。
民主主義という言葉は、その内容が明瞭にされないで、漠然とした讃美の意味で繰り返されるのです。

政策の遂行においてはとくに社会学や統計や自然科学や技術が利用されなければなりません。例えば最近問題になっているエネルギー問題について、その道の専門家の意見が尊重されなければならず、また限られた予算と時間の範囲内で一層大きな効果を期待するために何を優先させなければならないのか、専門家の研究討議の結果にまたなければならないのです。

しかし国家として他になすべきことがまだ多く残っているとするならば、それのみ問題の解決として取り上げるのならば、それは近視眼的な、科学的でない、政治的でない態度と認めざるを得ないのです。

政治の科学性は具体的技術的な政策の遂行において、科学や技術の力を応用することに尽きるものではありません。
最も欠けているのは哲学、世界観、結局理念なのです。
正しい世界観なき学者は局部的問題には貢献するところはあっても、大局において世界観なき政治家と同様に世間を誤り易いのです。


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