夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

新年

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

新年あけましておめでとうございます。

年を経るに従って、幼いころの新年の魅力が段々失われていくのは淋しいことです。
段々元旦が平凡になり、惰性的にこの日を迎えるように残念ながらなって来たようです。
新年は反省の機会であるといわれます。
反省と希望は一定の理想を前提とするものです。

理想がなければ新年を喜ぶことはできません。


理性と人道に反して決行された無謀な戦争は、人々を物質的窮乏に陥れました。

8月15日の終戦の大詔において平和国家と文化国家の目標、天皇現人神思想の否定、民主主義の理想等が宣明されました。

今後は、これらの目標や理想に向かって努力すべきと感じた国民の態度を、一層根本的に反省するならば、天皇陛下が命じたもうたから忍ぶべからざるを忍んでそれに従った、というものであってはならないのです。

天皇といっても真理を尊重しなければならないことは、私たち国民と変わらないのです。
天皇といえども誤謬を真理と為すことはお出来にならないのです。

私たちが天皇の命じ給うことに服従するのは、それが真理に適い、道理に反しないからであって、天皇が命じ給うたからというだけでそうなるのではありません。
もし、単に天皇が命じられたから従うというのであれば、その服従は軍隊的なものであって、それは盲目的服従ということになります。
この場合、服従者は一個の人格者ではなく、機械又は奴隷の地位になり下がってしまうことになるのです。

このような服従は決して天皇の嘉みし給う所ではないのです。

外部的勢力に盲目的に追随することは反民主主義的態度です。

政治は国家という、平均人を前提として構成されている1つの共同生活の維持、発展を目的としています。
その使命は、宗教や芸術とは違って極めて卑近凡俗なものです。
にもかかわらず、それは人生の究極目的につながっているのです。
この究極目的が不明瞭な限り、政治は単なる機会主義に堕してしまい、各個の政策は矛盾衝突を免れません。
このような究極目的を予定して、はじめて憲法の基本的原理も理解ができるのです。

政治においては宗教問題、自由主義民主主義、世界平和問題等、部分的知識の手に負えない程度の複雑な問題があります。
それはそれらの問題が究極目的に直結しているからです。
これらの諸問題の解決が、政党政派の世界観によって異なることは当然といえます。

科学や技術は政治における部分的役割を果たすことは出来ます。
この意味で現在の政治中、科学化されなければならない余地は多分に残されているところです。

しかし、科学と技術は局部的で、ある意味盲目的です。
それは手段であって、自己目的ではないのです。
科学や技術は与えられた目的の達成の手段を考案するだけで、それ自体価値を判断する能力をもってはいません。

それ自体では世界平和の基礎となることはできないのです。

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