夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

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Posted by 瀬那みき on

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明治の暮らし

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

明治のこころーモースが見た庶民のくらしの特別展を見に江戸東京博物館へ行ってきました。

友人が最近行ってみてよかったと言っていたので、興味を持ち早速足を運んだわけです。
エドワード・S・モースは大森貝塚(品川区)を発掘したことで知られていますが、そのきっかけが子どものころから好きだった貝殻で、日本に来てからも珍しい貝殻が豊富にあることを大変喜んでいたことが印象的でした。
日本の庶民の暮らしや人間性に魅了され、当時の生活道具や、写真、モース自身のスケッチなどを通して、まだ江戸の名残のある明治の日常生活を再現することができます。
当時のお茶や海苔の缶など開封されないまま残されおり、貝殻の形をした砂糖菓子も瓶に詰めたまま食べずにそのまま展示されてあったのには、食べたいのを我慢していたんだなあと感心致しました。

当時の人の暮らしの中で普通に行われている「雑巾がけ」をみて、これは背骨が折れてしまいそうだとのことでした。確かにね。

モース展には年配の方も沢山いて、ああこの風呂に入ったよなあ、などと話し声が聞こえますと、どれどれと気付かれないように近くに寄っていき、当時の体験を懐かしく思い出しながらしている話を盗み聞きしたり致しました。
ほんと、つい最近までの日本の姿だったんだなあと実感できました。

そのころの未来にわたしたちは生きている、とのフレーズがありました。

確かに、明治からみれば今現在は未知の世界で、当時の人々はこの国の未来に夢と希望をもっていたのかもしれません。

しかし私がモース展で見た当時の人の暮らしは、世界大戦も、原爆も、原発事故も知らない無垢で自然を愛し、自然と共存共栄する豊かさに満ちていました。
そんな暮らしに私たちは夢と希望を見ているのかもしれません。


さて、特定秘密保護法案について取沙汰されない日はない位なので、ここでもちょこっとだけ取り上げてみますね。

こんな意見があります。

特定秘密保護法などという漠然とした法律でもって基本的な人権や自由を制限できるとするならば、これらのものの保障が完全でない明治憲法の下におけるのと異なることがなく、それどころか明治憲法の下におけるよりも一層不完全となりはしないか、というものです。

しかしそうはなりません。

明治憲法の下においては法律を制定することによって権利や自由をいかようにも制限することができました。
明治憲法の下では法律万能であり、その議会の立法を審査する他の機関が存在しなかったのです。

しかし、現行憲法の下では、独立の裁判所がいわゆる違憲審査権、即ち一切の法律、命令等が憲法に適合するかどうかの審査の権限をもつことになりました(憲法81条)。
この意味で立法機関や行政機関が恣意的に国民の基本的な権利や自由を制限することは司法的に牽制され、権利や自由の保障が一層完璧となったのです。

明治憲法の下では裁判所が司法権を行うのは「天皇ノ名ニ於テ」でしたが(明治憲法57条)、現行憲法は裁判所の権限は主権の存する国民に由来するのです(憲法1条参照)。また、明治憲法の下でも裁判官の身分については保障が存在し、他の官公吏よりも独立して職務を行うことができましたが、裁判官は身分的には内閣すなわち行政府の一員である司法大臣の管轄の下におかれていて、制度上の独立は完全ではなく、司法権は行政権に対し対等の地位を占めていませんでした。

しかし現行憲法の下では「すべて裁判官は、その良心に従い独立して職務を行ひ、この憲法および法律にのみ拘束される」(憲法76条)のであり、いかなる外部的勢力にも制肘されないことはもちろんのこと、職務に関し制度上裁判官を拘束する国家機関は存在しないのです。

さらに旧制度の下では裁判官は「法律ニ依リ」司法権を行い、その法律が憲法に適合するかどうかは問題とし得なかったのですが、現行憲法においては憲法および法律に拘束され、法律が憲法に適合するかどうか、即ち法律の合憲性の審査をなし得、またなさなければならないのです。
この合憲性の審査は一切の法律のみならず一切の命令、規則又は処分に及ぶものであり、かつ最高裁判所のみならず下級裁判所もまたこの権限を有するのです。

最高裁判所はこのような合憲性を終審裁判所として決定するのです(憲法81条)。

そうして具体的事件に関連してある法律が違憲で無効だと宣言されれば、同種の訴訟が提起されることになり、法律の廃止または改正が余儀なくされるのです。

憲法は特別裁判所を設置することができないものとし、行政裁判所は廃止され、行政機関は終審として裁判することができず、司法裁判所の権限に吸収されることになったのです。
裁判所が憲法の下で重要な地位を占めるようになったことは、法の支配が民主国家の最も重要な支柱であることの認識に基づくものなのです。

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