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差別的規定

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最高裁が非嫡出子の遺産相続分を嫡出子の半分とする民法規定を違憲と判断したことを踏まえて、婚姻をしていない男女間に生まれた非嫡出子の遺産相続分を嫡出子と同等とする改正案が出ることになりました。

この非嫡出子相続分差別規定(民法900条4号但書)について従来の最高裁の見解は、法律婚の尊重と非嫡出子の保護の調整を図ったものとし、著しく不合理であり、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないとして、緩やかな基準を適用し、法の下の平等(憲法14条)に反するものではないとしていました。

ところが今回、大法廷の裁判官14人全員一致の判断により、最高裁がこの規定を違憲とし、これにより国会は民法の改正を迫られることになったです。

そもそも従来の最高裁の民法900条4号但書合憲判断に対しては、学説からの強い反対がありました。

憲法14条第1項は、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条生別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と規定しています。
この社会的身分については、後天的に人の占める社会的地位にして一定の社会的評価を伴うものとするとの学説があります。
社会的身分とは、後天的に取得するものであっても、本人の意思ではどうにもならないような、固定的な社会的差別観を伴っているもの、ということになるのです。

東京高等裁判所決定は、嫡出子かそうでないかは、「出生によって決定される社会的な地位又は身分」にあたるとし、「社会的身分を理由とする差別的取扱いは、個人の意思や努力によってはいかんともしがたい性質のものであり、個人の尊厳と人格価値の平等の原理を至上のものとした憲法の精神に鑑みると、立法の目的(差別的な取扱の目的)が重要なものであること、その目的と規制手段との間に事実上の実質的関連性があることの2点が論証されなければならない」との考え方を示していました。

基本的人権の重大な制限を伴う場合や、生まれに着目して不利益が法定され、社会的差別観と結びつくような場合には、法律の目的を厳格に解し、あるいは手段が実質的相当性を有するか否かを厳格に問う必要があると解すべきであるとの学説は正当といえます(佐藤幸治著「憲法」より引用)。

そこで今回は身分法について考えてみることにします。

本来、身分法すなわち親族法と相続法は、法の支配に服することが少ない部分です。
人間生活のこの範囲は、敬愛、貞節等道徳または宗教によって掲げられた諸徳によって指導されるべき部分であり、なるべく法の外にあるものとして維持され、法が干渉的態度に出ないことが理想とされます。
法の介入をまつことは親族関係の堕落といえます(法は家庭に入らず)。
しかし、親族の団体も1つの社会であると同時に、国家社会を構成する単位ですから、その健全性の維持のために、ある程度の法的規整に服しなければならないのです。

親族関係の特異性は、その関係が血族関係、姻族関係のような自然的関係を基礎とし、そして親族団体に属する者の間に尊属と卑属、親等の遠近、年齢、後見人と被後見人、嫡出子、非嫡出子等の自然的関係その他の関係において、人と人との間の関係の親疎またはその性質上の差異に従って、家族または婚姻生活の存続、平和の維持、親族各員の発展の目的のために、相互間の秩序が定められ、その他法律上の取扱の差異が生じることになります。
法の世界でこのような程度の秩序、不平等関係が認められている部分は類例が少ないでしょう。
これはこの範囲においては人間の間の関係は赤裸々な権力関係に尽きるものではなく、骨肉、愛情の関係が基調となり、子が親権に服することは例えば子が親を敬愛する感情や親が子を愛護する感情の自然の発露であり、この感情がその関係全部をうるおすことを原則とするからです。
そのため親族関係においては道徳、宗教の理念の支配をまつことが非常に多いのです。

親族関係の中心をなすともいうべき婚姻制度の形成に対し、宗教の影響が大きかったこと、とくに婚姻がサクラメント(秘蹟)と認められることはその例です。

夫婦、親族のようなものの本質は血縁、愛情を基礎とする本質的結合という点にあるのであって、その存在自体に意義があり、何らかの共通な目的の達成を目的とする手段的結合ではありません。
そのため法制度としての親族関係の本質もこの理念から理解しなければならないのです。親族関係の内容は一般に契約的決定の外にあります。

親族関係の特質は債権関係的なそれと全く異なるものです。
国家間に団体主義的なものと個人主義的なものがあって、前者は国家を家族のような有機体とみなし、後者はたんなる契約関係とするものがあります。

婚姻関係もそれをサクラメントと認め、これを容易に解消できないものとする思想と、単に性欲の満足のための、随意に解消できる私的契約または事実上の関係と認める思想とが対立するのです。

このように婚姻の本質に関する観念は国家の本質に関するそれと密接に関係しており、婚姻(と離婚)は重要な政治問題ともなってくるのです。
外国の憲法で婚姻の問題について憲法中に規定を設けるものもある位です。

極端な自由主義的世界観やマルクス主義的共産主義国家においては婚姻の宗教的神聖性をはく奪し、それを私的契約と認め、自由な離婚を主張するのです。
キリスト教とくにカトリックが普及している国々は一般には婚姻や家族についてこれを神聖なものとして維持尊重する建前をとり、離婚を絶対に認めないか、認めるにしても一定の原因がある場合に裁判上の離婚のみを許し、協議上の離婚を認めないのです。

日本はキリスト教国とはいえず、かといってマルクス主義的共産主義国とはいえないにもかかわらず、民法は無制限に協議上の離婚を認めて今日にいたっているのです(民法763条)。
その結果として妻を離別しようと欲する男子が妻に同意を強要し離婚の目的を達し、妻の地位を不安不利なものにさせているのです。

軽率な離婚は子女を悲惨な運命に陥れ、道徳の退廃を来し、国家社会に著しい害毒を流すことになるのです。

民主主義的な憲法の制定の民法に対する影響は、身分法において顕著に見られます。
身分法においては濃厚な封建主義的残滓が存在し、人間の間の幾多の不平等な関係が認められますから、憲法は家族生活における個人の尊厳と両性の平等を強調する必要があったのです。

民法の最も根本的な改正は、「家」制度の廃止です。
家というのは「家庭」とか家族とは必ずしも一致せず、戸主を中心とし、その支配統制の下にある家族や個人の法的協同体のことです。

戸主は法律上「家」の責任者として家族に対し種々の場合、例えば家族の居所を定めること、その婚姻、養子縁組、分家、他家の相続に同意を与える権利を有していました。

このような家の制度は現代西洋の文明諸国においては類例を見出し得ないものです。
この制度は婚姻、夫婦およびそれによって生じた親子の自然的家族関係のような普遍人類的な自然法に基づくものではなくて、歴史的相対的なものであり、現代日本の社会の実状にあわないばかりでなく、個人の尊厳と平等の原則に反し、社会的にも多くの弊害をかもす原因にもなりますから、民法はこれを廃止したのです。

しかし「家」を廃止したことは婚姻、夫婦、親子の間の倫理的、法的関係を否定したものと速断してはならないのです。
廃止されたのは「家」の意味の家族制度のみにとどまるのです。「家」に代わる生活協同体としての夫婦とその子女たちが登場し、この趣旨から戸籍法の改正が行われたのです。

次に身分法上男女の平等の取り扱いは、妻の無能力制度(民法旧14条乃至18条)の廃止(昭和22年法222号)、妻に対する夫の権利(夫権)の廃止、これによって妻は自分の財産を夫の許可なしに処分できるようになりました、裁判上の離婚原因の1つとしての妻の姦通罪の規定(民法旧813条2号)の削除、親権は旧制度におけるように原則として父のみが行うのでなく、父母ともに有し共同して行うことになったこと(民法818条)、夫婦の財産関係における夫の優越的地位の廃止、夫婦が婚姻の際に定めるところに従い夫または妻の氏を称すること(民法750条)従来は当然夫の家に入ることによって夫の氏を称したわけです、等にあらわれています。

伝統的な男尊女卑的観念は民法から払拭されたのです。

また従来存在していた嫡出子に対する庶子の名称は、個人の尊厳にそぐわない封建的臭味があるからこれを廃止したのです。

同様に個人の尊厳にそぐわない私生子の名称はすでに昭和17年以来廃止されています。

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