夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

身近で話題になったので

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

今日は所有権について考えてみることにします。

所有権は、人間が自然界を支配する手段として与えられており、人間は自然界をある程度に支配し、そこから衣食住の資を得、その他物質的精神的な需要を満たしています。
もし人間の必要とする外界の財貨が量において無限であるか、またはそれが各人に平等に分配されていて、各人がその分配された財貨の量に満足する限りは問題が起きないのですが、現実の世界の状態はそれに反し外界は有限であり、各人に分配された財貨の量、各人の需要は不平等であるために、これに関して各人の間に紛糾が生ずることになります。

外界の財貨の分配、自己の支配の維持のために、法の関与が必要となってくるもっとも原始的な場合です。
人間の外界の財貨の支配に関しては、人間が社会生活を営む限り直ちに法によって規律されるのでなければ、社会生活は不可能であるといわざるを得ません。

外界の財貨の支配の中でもっとも単純で完全なものは所有権です。
それは無主の物であるときは、先占によっても取得されます。
それは物に対する総括的な、完全な支配です。
これはその内容が人の物に対する支配関係、かつこの支配関係をもって天下万人に対抗すること、天下万人の関与を排斥することにあるためです(排他性)。

すべての人は何らかの物(動産または不動産)の所有権者であるのに対し、例えば地上権者、地役権者、または抵当権者である場合は稀なことです。
所有権はもっともポピュラーなものです。

所有権すなわち私有財産制度の根拠は、社会主義的観点から批判の的になりますが、我が国の法制では多数の文明国とともに私有財産制度を是認する立場をとっています。
この点において旧新両憲法の間に異なるところはありません(旧憲法27条、新憲法29条)。

人間は理性を働かせて自然界の一部を征服し、それに加工し、その価値を増加します。
こうして獲得増加された価値は人間の努力の結晶として人格の延長を意味し、その価値は財産としてその者に帰属するのが自然です。
そうしてその財産はさらに人が一層自由に自己の使命を果たすために利用されるのです。
もし私有財産制が廃止されるとすれば、人間は自由を喪失し、国家の奴隷となってしまい社会の進歩は期待できません。
それは現代の共産主義諸国家において見受けられるとおりです。

封建制とか資本主義制とか変遷があり、財産権の内容については各時代各国において違いがないではないでしょうが、私有財産制が普遍人類的原理として存在してきたのです。

私有財産制度が人間性に発するものであり、人間の生活に必要であり、これがなくては人類文化の発達は望まれないこと、この理由から法制度として承認されることが必要であること、私有財産の基礎は自然法であるということなのです。

しかし各人に何を所有物として与えられるべきかは別の問題であり、これは正義の理念、すなわち分配的正義を標準として決められなければなりません。
この分配的正義が完全に行われないときは、私有財産制度はいたずらに不義に富めるものを保護し、正しく労働する者はその労働の成果をも取得することができなくなり、社会生活の危機を醸成するようになるのです。

憲法は財産権の内容を公共の福祉に適合するように法律で定めるものとするとともに、、私有財産は正当な補償の下に、これを公共のためにもちいることができるものとし(憲法29条2項、3項)、さらに民法は所有権に対して広範な範囲において法令の制限をすることができるのです(民法206条)。

公益の考慮からの所有権の制限以外に、根本的には税法とくに相続税法または物価統制によって分配的正義の要求を充たすことができるのです。

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