夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

梅雨の晴れ間に

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

こんばんは。
瀬那みきです。

このごろ随分と慌ただしく、心落ち着いて考える時間も余裕もなかったのですが、ようやくそんな状況から脱することができそうです。
というのも、考えても仕方のないことは考えまいと切り替えたことが大きな要因であったようです。
与えられた環境、感謝すべき状況に目を向けることで、本来の道筋に戻ることが出来たような気が致します。

さて、憲法前文における宣明は、私たち人類が完全に実現し得ない程度の高いものかもしれません。
しかし、この「実現し得ない程度」のものは、実現しなくてもよいということを意味しないのです。
実現しなければならないことは、動かすべからざる事実なのです。

一方においては実現しなければならず、他方においては実現し得ないとは、このような法が存在しなかったならば、よりしあわせであったのかもしれません。


法は人類の社会生活において正義が行われることを期待するものです。
こうして社会生活が繁雑になるに従って、法の発達もまたその極度に達しているのです。
しかし、これにより人類の社会生活に正義が実現されているのかといえば、戦争、経済上の搾取、不平等、隷属、殺人、強盗、その他すべての罪悪が往昔よりも減少しない状態にあるのです。
刑法、刑事政策の進歩は犯罪人を絶滅させることは愚か、少しも減少させることができないのです。
社会生活においても、人類の存在と当為とはその間隔が大きいのです。

しかし、私たちは犯罪が減少しないからといって刑法の無用を説くことはできないのです。
法律秩序は自然法則のように必然的に行われるものではなくて、その遵守を人間の自由意思に任せている限り、それは完全に行われるものではないのです。
完全に行われる世の中ではないから、尚更法が必要なのです。

また、法の相対性、即ち法が一定の時代や場所の社会に相対的のものであることは認めますが、法が社会生活、経済生活の反映以上の何ものでもないと認めることはできないのです。

私たちは自然法則的な原理に盲目的に従うものではなくて、この法則に逆らってでも、自己の行動を規律しようとし、これによって自己の行動を批判し、自然のままにふるまう傾向が強いにもかかわらず、これを差し控え、理想に従って行動しようとする要求を自らの中に植えつけられている存在なのです。

政治や法の立場は現実の社会生活、経済生活を理想に接近させていくことにあり、もしこれが現実生活に盲従するものならば、その使命は全く失われてしまうのです。

社会理想などというものはある時代、ある場所において一定の経済組織の基礎の上に存在するイデオロギー以外の何ものでもないとするならば、万古不易な社会理想は否定され、社会生活はあるがままに委せられ、レッセフェールの主義に堕してしまうのです。

国家には人類の理想に対する勇ましい決意が顕れていなければなりません。
現実の国家の中にはこのような状態にあるものは極めて少ないのかもしれません。
大多数の国家は理想が何であるか分からず、暗中模索の状態にあるといえるでしょう。

示された理想を目標として、国家、社会は真の自己批判をしていかなければならないのです。

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