夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

生き方

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

難関試験を突破するには、相当な勉強量をこなさなければならないものですが、実際合格された方の1日の勉強時間には以外にも差があります。
実際、1日20時間勉強した人もいれば、1日4時間30分の勉強で足りた人もいます。
短時間で足りた人は、日々の生活にメリハリをつけて、好きな事、やりたいこともしながら目的達成できましたという自己の体験談を語り、最後に楽しく勉強できましたと付け加えます。

他方、好きなこと、やりたいことを犠牲にするばかりでなく、生きていく上で最低限必要な睡眠や食事の時間を惜しんでようやく成ったという方もいらっしゃいます。

その後の人生はどのようになったのかといえば、前者はまだまだこれからの人なので分かりませんが、非常に苦労をして合格された方の後半生はスランプや苦労を克服してきた甲斐もあってか、周囲の人々の評判も良く、日々難題は抱えつつも生きる喜びも見出し、よい生き方をしている様子でした。
若いころは悲観的なものの見方しかできなかったけれども、紆余曲折の末、現在では楽観的にものごとを考えられるようになったことがよかったと言っておられました。

根っからの楽観者である私は、このような意見を聞くと、それは悲観的なものの見方をする人の意見であって、楽観的なことが必ずしも良いこととは限らない、と言いたくなります。
楽観者は悲観者から教わり、悲観者は楽観者に自己にないものを求めるのでしょうか。

努力をよかれとする人は、反復継続の大切さを説いたり、イチロー選手や優れたアスリート達の日々の努力に倣って自らを高めようと努力し、人にもそれを勧めたりしますが、そのこと自体否定するつもりはありません。
ただ、イチロー選手が日々行っている厳しい練習に耐えうる人はそういませんし、同じ努力をしてもすべての人がイチロー選手になることはないのです。

努力をして成果が出せなかった人は、そのことを悔やんだり悲観したりすることは一時的にはあったとしても、その後の進路選択がとても大切です。
努力が足りなかったためだと判断し、もっと努力を続けるか、それ以外のことを見出すかです。

視野を広げて見てみると、生涯努力とは無縁であっても、日々の糧に感謝し満たされて生涯を全うする生き方もあります。

努力は態度を変えてくれるかもしれませんが、人格を変えることはできません。
努力は行いを変えることができますが、わたし自信を変えることはできません。
努力すれば秘密を他人に明かすことはできますが、努力しても信頼を生み出すことはできません。
努力によって無理にお世辞を言うことはできますが、真の賞賛を生み出すことはできません。
自分の努力で到達できるのは抑制にすぎず、本物の変化や成長ではありません。

努力はすべき時と、そうでない時があるのです。

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