夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

マザー

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

こんばんは。
瀬那みきです。

過日の東京地方は天気予報に反して大雪にならず、よかったです。
前日の天気は快晴で、ぽかぽか陽気。
天気予報がなかったら、知覚に頼る情報だけで、明日は雪だとはとても予想できません。
あたってもはずれても、天気予報は見た方がいいですね。

さて、ローマ帝国のお話も種が尽きたというわけではないんですが、今日は別の本の感想といいますか、ちょっと思うところを書いてみます。

あるカトリック司祭の方の本なんですが、読み始めてからすぐに、なんだかいつもいる場所とは違う世界に連れて行かれました。
ということは、普段は俗世間にどっぷりと浸かってしまって、あまりそういうことを考えずにいることを白状しているようなものですが、まあそれについては否定しません。

司祭も人間ですから、個性がありまして、アカデミックな文章を書く人もいれば、やさしくひも解くような教えを説く方もいらっしゃるんです。

今回の本はやや難関な部類に入るかと思います。
たとえば、こんな文章があります。

「教会全体の歴史を見ると、2千年前に出発して最初の半世紀のユダヤ教の時代の後に1千9百年間のヨーロッパ教時代があり、第2バチカン公会議から第3期の時代に入った。そこでは全ての宗教、思想の差を超えて人間はみな神の似姿であり、その救いのためにイエス・キリストは死し給うたと言う全人類的な同胞主義と救いの楽観主義という道にはいった。」
という具合です。

そんな話ばかりではもちろんなくて、この司祭もそういう視点にのみ囚われることなく、あらゆる角度から考察を試みているんです。
その中に皆さんも知っているお話がありましたので、ここで紹介します。

マザー・テレサの行いに対して、こんな批判がなされました。

それは、大海の中の1滴を拾っていて、世界の3分の2が飢えている現実に対して、あまりにも無力ではないか。世界革命を起こして貧富の差をなくさなければだめではないかと。

これに対してマザーは、大海も1滴からなっていて、1滴1滴の幸せを実現することが大海につながるのですと言ったお話は有名ですね。

次に、飢えた人に魚を与えても1匹で終わるけれども、釣り竿を与えて釣ることを教えれば、もっと有効ではないかという、技術協力を勧められたことに対して、

「釣り竿を持つ力もないほどお腹が減っていたらどうしますか?」と答えたそうなんです。

マザーの視点と存在は「貧者中の最貧者」の中にあったからこそ、こういう答えをなさったんでしょう。

そう考えると、私たち1人1人は本来みな同じ視点を持つわけではなく、置かれている環境も異なっています。

マザーのように、今置かれた視点から率直に言葉で表現できる人は、自由だなと思ったんです。

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