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Posted by 瀬那みき on

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クリスマスのミサ

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クリスマスシーズンとなり、華やかな駅前のイルミネーションの中で記念撮影をする人が多く見受けられます。
この時期が来るまであっという間だと毎年のように実感します。

クリスマスとは「キリストのミサ」という意味です。

クリスマス夜半ミサには幼い頃から参列しておりましたが、神父様の有難い講話よりも、ミサ後の茶話会が楽しみで、今年はどんなお菓子が並んでいるのだろうか、誰とお話ししながらお茶を楽しもうかということを期待していたことが多かった気が致します。

イエスは聖母マリア様のご胎内で聖霊により宿されお生まれになったということをカトリック信徒は信じています。
日本のカトリック系の学校でも幼稚園児から教わることであります。

このようなことをあり得ないこととして受け入れないことは個々人の自由であります。
宗教とは、超自然的・超人間的本質の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為(津地鎮祭事件二審判決が示した定義)なのですから。

聖母マリアの処女懐胎を信じられないこととするならば、イエスが行った数々の奇跡や、磔刑に処せられた後3日目に復活し、昇天するイエスを悲しむ弟子達に、同じ姿で再び帰って来、一緒に天国に連れていくと約束されたことも信じられないことでしょう。

信徒は、神の似姿を宿した人間は、そのことによって自己の永遠の運命を決定しうる自由をも付与されたのだと考えます。

その自由は、それによって人間が神的生命に参加しうる資格を有するとともに、神から自らを断絶させ、その結果を自分自身に永遠に招く危険性をも有することになるのです。

生命ある実体がその自己完成を誤ることがあるとするならば、それは初めの状態からの離反を意味しています。

「われは汝の業を知る。されど、汝に言うべきことあり。汝は最初の愛を離れたり。されど汝がどこから転落したかを思い起こし、初めの愛にもどれ。」(黙示録2の2-4)
この天使の警告も同じ事実を物語っています。

人類の歴史は大きな転落を経験しました。
そのために神ご自身がその中に受肉され、その崩壊のせめをおのが身におって、神の前に償いたもうたのです。

そのときに、救い主を宿すべき器をいっさいのけがれから清めたもうたのです。
そこに無原罪の御宿りがあるのです。
御子に肉をそなえたもうた御母は、その御子との関係において、原罪より清められたのです。

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