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Posted by 瀬那みき on

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応報と予防

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今日は刑法の目的とは何か、について考えてみますね。

刑法の哲理的基礎から考えますと、刑法は不正があった場合に、それに対し制裁を加えることを目的とします。

この目的に反する者に対しては、直接社会生活の秩序をみだす場合(例えば内乱罪、騒乱罪、通貨偽造罪)には個人的利益保護以外に、直接に法秩序自体の見地から刑罰を科すことによって犯された秩序の回復を計るのです。

それは正義の実現の目的から生じるのです。
この意味で刑罰の本質は正義の目的からの犯罪人に対する応報であり、他の目的を達するための手段ではないのです。

現在、刑罰は国家の独占に属するとはいっても、この刑罰に本質的な性質は失われるものではなく、実際の行刑にあたって種々の政策的目的が介入するとはいってもこの事実を見誤ることはできないのです。

ある行為が刑罰を科せられるべきものであるかどうかは、具体的な場合について考えてみますと極めて不明です。
ある行為に刑罰を科すべきかどうか、立法にあたっては、立法の難易、他の規定との権衡、立法の社会的影響その他法政策的考慮を行わなければなりません。

法秩序はそれが犯された範囲内で、犯罪によって生じた不正を除去し、その回復を要求するのです。
刑罰は犯罪に対して加えられる悪です。
そしてこの悪は、犯罪行為と比例することを必要とするのです。それゆえに「一眼に対して一眼」「一歯に対して一歯」という立場を捨て去ることはできないのです。
それは客観的な経過であり、犯罪人の自由意思の存在を前提とする限り、その者の危険性のような主観的条件を度外視して行われるのです。

だからといって刑罰が一般予防、特別予防の目的(将来の効果すなわち威嚇、教育等を目的とするものであると主張するが学説)を除外するものではありません。
これらは、応報に対して従属的なものであって、応報が目的であるのに対して、これらのものは付随された政策的考慮に出たものに過ぎないのです。

ですから刑罰を科すにあたって、国家が政策的に考慮にいれるところのこれらの目的には刑法の本質を求めることはできないのです。
ただ人間がある行為をする場合に、その動機は種々ありうるように、国家もまた刑罰を科す場合に、各種の動機をもっています。
報復の趣旨を害しない範囲では、犯罪人の改善または保安の目的を併せ考え、行刑の機会を利用することも必要と考えられるのです。

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