夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

夏の日に思うこと

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

こんばんは。
瀬那みきです。

オリンピックの日々も残すところあと少しとなりました。
競技中継もネットのおかげで、これまでTV中継されなかった種目の解説はないものの観戦を楽しむことができるようになりました。
私も念願の障害馬術をネットで観戦できました

出場する馬はどれもすばらしく、選りすぐりの名馬ばかりで、みていて惚れ惚れしました。
難易度の高い障害が入り組んだコースを1つ1つ淡々と乗り越えて行き、中にはバーに足がかかり落としてしまったり、池に足を浸してしまったり、コースを外れてしまった馬もいましたが、ほとんどが見事に完走していく様子を見ていると、馬の能力の高さ、従順さを改めて知りました。
思うようなタイムが出なかったり、ミスがあったりしても、この大舞台に遠方からはるばる長時間飛行機に乗せられ連れてこられ、最高の演技を求められ、それを立派に果たした愛馬に、騎乗者はその労をねぎらい、感謝すべきでしょう。
競技が終了すると、中には馬の首を撫でることもせず、がっかりした表情で競技場をあとにする選手もいましたが、それは馬にとってあまりにも気の毒なことです。


さて、8月は終戦の月でもあります。
今日は、戦争について考えてみましょう。

第2次世界大戦において日独伊等の枢軸国が侵略戦争を開始し、連合国が受け身の立場にあり、戦争の正当原因が後者にあったことは、世界の世論の認めるところとなりました。
日本国民が軍閥の強圧によるものであったとはいえ、幾百万の人命を犠牲にし、天文学的数字の財産を烏有に帰した反理的背人道的戦争を決行したことの深刻な体験から出た衷心の叫びが、憲法の掲げる平和主義の理想です。

私達は、敗戦の結果ポツダム宣言を受諾し、連合諸国に対する国際法上の義務として軍国主義を放棄し平和主義に転向しましたが、それは敗戦の結果強制されてなされたものであってはならないのです。
私達の平和へ要求は、単なる感傷的なものに止まってはならず、時の経過とともに戦争の生々しい印象が薄らいでいき、冷却の一途を辿り、往年の軍国主義が再び台頭しないようしなければならないのです。
民主主義や文化国家のスローガンは常に繰り返されるものですが、これについての確信がなければ、それは空念仏に終わるのです。

国家間における戦争を未来永劫に絶滅すること、世界の恒久平和は、軍国主義に悩まされてきた日本国民の念願であるばかりでなく、世界人類の憧憬でもあるのです。

しかし国内社会において犯罪がなくならないならば、国際社会においても、同じ不完全な人間によって構成される限りは、不正な戦争は跡を絶たないのであり、犯罪的な戦争を開始する国に対し、自己を防衛する意味での正当な戦争が存在することは認められるべきことです。

ただ、現代の戦争が原子爆弾その他の科学的武器が異常な発達を遂げ、戦争の被害と影響とが極めて広汎にわたる状態においては、たとえ一方当事国が不正な戦争を挑発してきた場合においても、それに応じることによって守る利益と、払わなければならない犠牲とが、著しく均衡を失する場合においては、僅少な犠牲を甘受して戦争を回避するのが賢明であるといわなければなりません。

アウグスティヌス(354~430)も正当な戦争の存在を認めながら、戦争がその結果として恐るべき悪を招くだけに、秩序を回復するため他のあらゆる手段を試みて無効であった時のみ戦争が許されるものとしました。
残酷極まる現代の科学戦においては、理論的には正当原因に基づく戦争の可能性を認めながら、実際は、戦争否定の結論に到達する見解も存在するのです。

更に具体的に考えますと、戦争が正当原因に基づくものかどうか、必ずしも明瞭でない場合が多いものです。
両当事国ともに侵略的意図をもって相手方に対し挑戦する場合と、戦争の原因が極めて複雑で、正当原因が一方に6分、他方に4分というような微妙な程度の差の場合もありうるでしょう。

国際社会が未だ充分組織化されない現状においては各国家の権益を保護する機関は存在せず、各国家間の紛争は、戦争回避の種々な段階、手段が考案され協定されているにしても、終局的には各国家の自力救済に任されていることとなっているのです。

両当事国は常に自己の側に正当原因があることを主張するでしょうし、そのいずれの主張が正当であるかを権威をもって判決する機関が存在せず、戦争となる場合は、その勝敗は、歴史の下す判決のような観を呈するのです。
勝った方が正しく、負けた方が不正と見えたりもしますが、客観的にみれば、負けた方が正しく、勝った方が正しくないということもあり得るのです。

正しいものが負けた場合は、歴史の下す裁判があてにならないこと、現世における正義の実現がいかに不完全かを示すことにもなるのです。
しかし、正しいものが苦しみ、正しくないものが栄えることは個人間においても見受けられることなのです。

ただ、国際社会において国家間の相互連帯の関係が深化し、国際的良心が鋭くなって、正しい世論の成立が容易になり、侵略戦争によって平和を撹乱する国に対する共同の制裁の意味での、共同戦線が成立することが増大するのであれば、正当原因を有する側の国が勝利する可能性が増大することになるのです。

憲法は平和主義、国際主義の精神を宣言し、他に類似を見ない戦争の放棄、軍備の撤廃の原則を採用しました。
戦争と平和主義とは矛盾するものではありませんが、日本の過去から判断すれば、戦争の許容と軍備の維持とは、軍国主義に対する大きな誘惑であり、平和愛好諸国に対する大きな脅威となり得るものなのです。

日本は捨て身になって平和主義の決意を表明しました。それは軍備の充実による平和の実現の途を選ばないで、軍備撤廃の途によって同じ目的を達成しようと決意したのです。

現段階においては、日本は武力による自衛権の行使を放棄して、正当原因による戦争を断念して、国際的平和組織その他平和愛好諸国の助力によって、自己保全の目的を達することを期待しているといえるでしょう。



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