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Posted by 瀬那みき on

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法律家に対する評価

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法律学の研究や法律的業務に従事しない一般の方々の立場において法律秩序というものを考えてみると、一般人は実は法律秩序について余り意識を持っていず、生涯法律というものに余りお世話になったという感じをもたずに済んでしまうのです。

刑罰に触れるような行いもせず、他人を訴えもせず、訴えられもせず、平穏無事に生活する者の目から見ると、法律のありがたみや、そこからこうむる迷惑はほとんど感じないものです。
法律の存在に気が付くような場合には世の中の状態がうまくいっていない時なのです。
手形が支払われず、銀行が休業して預金が引き出せないとか、労働争議が起こるというような場合に私たちは法律の必要を痛感し、法律の不備を慨嘆するのです。

罪を犯したものが罰を免れたり、罪なき人が誤って罰せられたり、正当な原告が訴訟上証拠を挙げることができず、または弁護士の訴訟のテクニックがまずかったために、実体法上権利者でありながら敗訴しなければならないというような場合が度々存在します。このような場合に一般人は法律の無力を嘆じ、法律を呪詛するというようなことになるのです。

それ以外に法律秩序があまりに煩雑且つ専門的、技術的に流れ、民法や商法の法典を素人が一瞥しただけでは、それが一体何を意味するか分かりかねるといったようなことも、法律に対する信頼を失わせる原因です。
また法律がモーゼの律法のように神から授かったなどというような、法の根本原理である自然法は神に起源するというような宗教的感じは多くの現代人が持っているわけはなく、加えて法律の制定の顛末がデモクラティックな現代において、新聞雑誌等によって非常に明瞭になっており、ある法律の制定が社会全般の福祉というよりも政党政派や特殊の階級の立場から行われたりすること、つまりある法律案の通過するかどうかがその法案自身の内容によらないで、むしろ他の政治的情勢につながっていたりして、そういう不純な動機から委員会や議会の討論が行われたりすることや、単に自党が政権を維持するため便利なように、ある階級へ阿諛する手段として法案を利用するといったような経緯が国民の目に露骨に現れてくる以上、法がその正体を国民の前に暴露し、その神聖さ、その権威を失墜することもまた無理もないことなのです。

では、高級な文化の代表者たち即ち哲学者、芸術家、自然科学者や宗教家たちは法律に対してどのような感情を持っているでしょうか。
彼らは好感情を持っていないばかりか、反感さえいだくのであって、せいぜい冷淡なのが関の山です。

法律は哲学のように宇宙の秘密、人生の究極を究めたり、認識の本源に遡ったり、事物の本質を探ったり、真、善、美の理念や世界歴史の意味を論じたりするものではありません。また、芸術のように美の理念を具体的な形に表現し、瞬時とはいえこの世の醜穢から解脱させ、天上世界に悠遊させる崇高な創造物の働きでもありません。また、自然科学のように自然法則の秘密を開くカギを与え、望遠鏡でのみうかがい知ることのできる無限大の宇宙から、顕微鏡でのみ知りうる無限小の細胞の世界の驚異を私たちに教えてくれるものでもありません。
また、宗教のように最高の道徳律や、神の世界創造の経過や、個人や全人類の救済や神の国の実現を説くものでもありません。
それよりもずっと現実的な経済のように、現実の社会生活に最も切実な衣食住の問題に関して存在する人間界の法則、それについて人の採るべき方策を示すものでもありません。

法律はこれらのものと比較して極めて平凡で卑俗的なものです。
法律の中で一番高尚なようにみえるのは国家の根本組織を定めた憲法のようなものですが、犯罪や刑罰や売主・買主間の権利義務や質権や抵当権や、手形や強制執行や破産の手続や、左側通行や伝染病予防に関する法律のようなものは、決して魅惑的なものではありません。

法律を職業とする人々は世間的には随分偉くなる人々も多いようですが、哲学者や芸術家や自然科学者たちは心の底ではだいたい法律家に対して真の尊敬をもってはいないのです。ニュートンやカントやゲーテやベートーヴェンの名を知らない人は少ないですが、サヴィニーやイェーリングの名はドイツ人の中にも随分知らない人が多いと聞きます。

法律家には心からの尊敬は一般国民からばかりでなく、識者からも払われていないのです。
では、このような無味乾燥な不人望な法律学を志す学生がどうして一番多いのでしょうか。もしこれらの若い人々がほんとうに法律を有難いものと感じ、それに天職を見出して一生懸命勉強をしているとするならば、実に頼もしいことでありますが、事実は大部分の学生は、生きるための手段、立身栄達の手段として法学を修めているのです。

哲学者、芸術家、宗教家のような精神的な職業に従事している人々は、一般に法律秩序を余り高く評価していないように思われます。法律は人の自由を拘束するものであり、人類の心と心の直接的な交通に関係せず、むしろそれらを困難にする不都合なものとさえ考えられているのです。
法律秩序を否定しなくても、こういう考え方では、法律は第二義的な価値、夜警的価値、単に平穏な社会生活を営んでいくための功利的手段としての価値をもつだけということになり、法律秩序は人類の生活に対して何ら権威を持たないことになってしまうのです。

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