夢と希望を持ち続けて

はじめて人生の道のりを歩んでいる私たち1人1人に灯火がありますように

夏休み

Posted by 瀬那みき on   0 comments   0 trackback

こんばんは。
瀬那みきです。

夏休みが始まりましたね。
これから1か月以上、自由な時間を思う存分楽しめる小学校低学年位の身分が羨ましいです。
宿題や、読書感想文、自由研究など夏休みの課題は沢山あるでしょうね。
サッサと片づけてしまって、気持ちも晴れやかになったところで遊ぶか、まず先に夏休みを満喫してから休み明けぎりぎりに慌てて取り組むか、始業式まで間に合わなくて先生に叱られるか、小学生も選択肢に悩むところとお察し致します。

部屋でボケーッと勉強ばかりしていても身にならないと思いますから、沢山遊んで、宿題は夏休み明けぎりぎりにお父さんやお母さんに手伝ってもらう手もありますよ。

多感な時期、充実した夏休みをお過ごしください。

さて、大人の私達には、お休みはあまりありません。
毎日が戦いのごとく、休む間もなく、お仕事に励まれている方もいらっしゃるでしょう。
混迷した、この切迫した国民経済、世界経済の中で私たちは、一体どこへ向かっているのでしょうか。

現代の複雑な経済生活の機構は、何をもって維持され、実現されているのでしょうか。
そんな疑問から今日は、経済について根本から考えてみたく思います。

経済は社会生活の重要な部分であり、頻繁に紛糾が生じ、そして不正義が行われやすいところです。
法の目的が「各人に彼のもの」を与えることにあるとするならば、不正義が行われやすいのは「彼のもの」が経済的財貨の場合です。
なぜなら人間の利己心は、財貨についてもっとも露骨に発揮されるからです。

法の不備、欠陥は経済との関係において痛感されるところです。
例えば、商法、会社法が度々改正され、その改正事業が進行している間にすでに実生活はさらに1歩進んでいて、法が制定される場合には、もはやそれが古くなっていることがあったりします。
法と経済とは密接な関係がありますが、私達はその関係について、理論的な反省をしなくてはならないでしょう。

経済が法に及ぼす影響を考えますと、経済は法の基盤(唯物史観に従えば、経済は法制度の下部構造)として、経済の変遷に盲従するように考えられます。

しかし、経済生活、社会生活は法に対し1つの事実であり、法は経済に対し規範としてのぞむものです。
法と経済との因果的相関を認めなければならないことはもちろんですが、それによって法が無条件に経済に依存すると認めることはできないのです。

人間の経済生活は一定の法則の尊重なしには成立することができず、「彼のもの」を尊重する根本原理は、いかなる時代においても前提条件となっているのです。
このような意味で、法が経済を可能としていると認めなければならないのです。

法が経済に論理的に先行することを主張し、唯物史観論者が法制度を経済の上部構造とするのを批判する学説は、正当です。
確かに、法原理の細目部分においては、実定法は経済的事実に相応した内容をとるもので、この意味では唯物史観論者の主張は是認されるところです。
が、正義の理念自体は経済から生じるのではなく、人間の本性中に植えつけられているのであって、実定法の完備の程度に拘わらず、直接に経済生活の根幹を決定しているのです。

私達は、法制度の規定が経済によってある程度決定されることから、唯物史観の公式に無批判に従う早計をしてはならないのです。

経済生活は根本において法原理によって支持されており、法技術でもってはじめて存在するものなのです。
例えば、株式会社は精密に規定された法的機構としてのみ可能であり、カルテル、コンツェルン、合併などの組織は、複雑な法技術なくては成立しえないのです。


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